日記

 「まさか、日記帳までが無くなる世の中になろうとは思わなかった…」。喜劇役者の古川ロッパ氏は一九四四年(昭和十九年)元日の日記にそう書いている。
 書店の店頭から日記帳が姿を消した。「私は日記をつけるために生きている。貧乏も日記のサカナだ」と語った“日記人間”には、異様な光景と映っただろう。暗い雲が戦局に重く垂れ込めるころである。
 膨大な日記を残したもうひとりの喜劇人に、徳川夢声氏がいる。その日記帳には戦時中に、五十日ほどの空白がある。四二年(昭和十七年)の夏、危険のつきまとう南方戦線を慰問することになった。
 「南方から生きて帰れないかも知れない。だとしたら、日記など少々ばかげている。天気か、雨か、何を食べたか、そんなことはどうでもいいではないか」。日記帳を遠ざけた心境をのちに回想している。
 「明日」が見えないとき、「今日」を記す筆は止まるものらしい。ロッパ氏の眺めた書店の風景も戦時下の物不足それ以上に、身の行く末を見つめる人々の「希望不足」の投影であったかも知れない。
 師走間近の書店や文房具店を歩けば、五年連用、十年連用、歳時記や格言付き…と、形式も色もとりどりに日記帳が並んでいる。来年は終戦から六十年、曲がりなりにも「明日」が見える時代のありがたさをかみしめる。
(編集手帳)