報復代行

 深夜の山中から、マイクを手にした背広姿のリポーターが、現場の様子を伝える。テレビ各局引きも切らず、中には早朝番組のためか、朝ぼらけの現場というのもあった▼女子高専生(20)を殺害した疑いで全国手配されていた同級生の少年(19)が、自殺遺体で見つかった山口県の現場からの中継だ。同じテレビが今度は、告示された自民党総裁選候補三人にカメラを切り替える▼いずれも小泉内閣の閣僚。同じ「構造改革路線の継承」をいうから大差はない。テレビへの露出度で断然他を圧倒してきた安倍晋三官房長官の圧勝とみられ「消化試合」の酷評も▼こうして一方的にテレビや新聞が連日流す情報の公共性とは何かということを自戒を込めて考える。山口の事件では、加害少年の情報を警察が公表しなかったことに被害者の両親が不満を訴えて、自らカメラの前に姿をさらす痛ましい映像が流れた▼批評家の小浜逸郎さんは『「責任」はだれにあるのか』(PHP新書)で、週刊誌の「報復代行」を思わせる加害少年の実名、写真報道の是非をいう前に、被害者の姓名や顔写真公表が自明視される風潮への疑問を投げかける。女子高専生の場合は、犯行と直接関係ないピアノ演奏や、バレエ演技の映像が連日、各局のワイドショーで流された▼ビデオカメラの普及で、犯罪被害者の生前の映像が繰り返しテレビに流れるのは常態化している。少年の行方を詮索(せんさく)するコメンテーターたちには、犯行直後にすでに自殺していた少年の悔悟と悲しみに思いを致す発言は、少なかったように思う。*1

*1:筆洗 2006年9月9日[土]