島田正吾

 明治維新の風雲に出合いながらも、志を得られずにむなしく故郷に引っ込んで漢学塾を開いていた老人。「こういう人物に限って変物(かわりもの)である、頑固である、片意地である、尊大である、富岡先生もその一人たるを失わない」とは国木田独歩の「富岡先生」だ。
 それを脚色した真山青果の台本と、ひとり芝居の構成原稿が机上に残っていたという。先日、98歳で亡くなった俳優の島田正吾さんの書斎である。「99歳でひとり芝居」を目指した島田さんだ。きっと病床でも、時流へのうっ屈した思いを抱えた老教師を演じる自分を夢見ていただろう。
 「大事なのはセリフにほれること。ひとり芝居は自分で構成するので、嫌なセリフは書かない。構成本を書いているときが一番楽しい」。そう語っていた島田さんが「シラノ・ド・ベルジュラック」の翻案「白野弁十郎」のひとり芝居を初めて試演したのは、すでに83歳の時である。
 その後「シラノ」の本家フランスでの公演まで成功させ、11年前からは毎年、東京の新橋演舞場でひとり芝居を続けてきた。その最後となってしまったのが、脳梗塞(こうそく)を起こした一昨年の「夜もすがら検校」だった。
 「精いっぱい演じることができまして、あー生きていてよかった。もっともっと生きて好きな芝居を勉強したい」。その舞台でのあいさつである。新国劇沢田正二郎に入門したのが17歳、やがて演劇史に一時代を築いた劇団は消え、多くの仲間も世を去ったが、その志をただ一身で生かし続けようとした晩年であった。
 書斎にはたくさんのカエルの置物も飾られていたという。「柳にカエル」は新国劇のシンボルだ。今ごろ天国では恩師や懐かしい仲間の前で、どんなふうに頑固な老教師を演じて見せているだろう。
(余録)