アテネでの2度目の五輪

エンジュ 01

 「戦争が起きるのは、二つの国が互いに相手を誤解するからである。異なった民族同士を隔てている諸々(もろもろ)の偏見が根絶されるまでは、我々は平和を手にすることができないであろう」。近代五輪の父クーベルタンは、アテネで第1回大会が開かれた1896年に、こう書いた(『オリンピックと近代』平凡社)。

 そして平和を手にするために「あらゆる国の若人を定期的に一カ所に集め、肉体の力と敏捷(びんしょう)さとを友好的に競わせることほど有効な手段が、ほかにあろうか」と続ける。教育家らしい思いがにじむが、1935年には大会が「単なる見世物芝居、無意味なスペクタクル」になりかねないと憂慮していた(『世界を映す鏡』平凡社)。

 それ以前に、こう語ったとも伝えられる。「もし輪廻(りんね)というものが実際に存在し、再びこの世に生まれてきたら、わたしは自分が作ったものを全部こわしてしまうであろう」(『続・オリンピック外史』ベースボール・マガジン社)。肥大する五輪が、金や薬や政治にまみれるのを見通していたのか。

 アテネでの2度目の五輪が10日後に迫った。空を仰ぐ迎撃ミサイルは、五輪の新断面だ。シドニー大会以後、世界は9・11テロと二つの戦争を体験した。イラクでは戦闘が続く。古代オリンピックに倣って休戦しようにも、相手が定まらない。

 仮に今年の大会が米国での開催だったとしたら、参加をためらう国はないだろうか。そもそもイラクへの先制攻撃は、あの通りに行われたか。

 大会の平穏を願いながら、現実とは少し違った歴史を思い描いた。

(天声人語)