月を待つのが風流の道

オオケタデ 01

 これといった目玉に欠けた内閣改造。それを察知してか、大目玉の台風21号が東シナ海からとって返して、列島に接近している。意地悪な台風のせいか、つれない秋雨前線のしわざか、昨夜、中秋の名月十五夜お月さんが姿を見せた地域は限られていた。

▼しかし、雲に隠れた名月でも、どこかほの明るく見えるのを「無月」と呼んで尊ぶのが、この国のならい。雨に降り込められて姿を見せない名月には「雨月」の名をつけて、その薄明かりの神秘的な風情を味わう。雲も雨も、月に寄せる人々の思いをさえぎることはできないようだ。眼光は雲のかなたに及ぶ。

十五夜がだめなら、その翌日の十六夜(いざよい)に、ためらいがちに出る月を待つのが風流の道。十六夜が雨でも、次の夜の立待月(たちまちづき)に期待し、それも姿を見せなければ、翌日はずっと居待月(いまちづき)。さらに次の日は床に入ってからも月を待つ臥待月(ふしまちづき)、そして名月から5日目には深更まで更待月(ふけまちづき)――。なんとも辛抱強く月を待つ。

▼待つをいとわず、待つを楽しむのも、事と次第による。北朝鮮拉致被害者の再調査、沖縄での米軍ヘリ墜落などでは、ただ待つよりも、機敏な対応を求める声が強まっている。名月の前夜に誕生した第二次小泉改造内閣。肝心の場面での雲隠れを排し、人を待たせない政治を期待したい。
(春秋)