さらば愛しき女よ

ヨメナ 01

 私立探偵フィリップ・マーロウは、強打者ジョー・ディマジオが今日もヒットを打ったかどうか、そればかり気にしている。米国映画「さらば愛(いと)しき女よ」(一九七五年)◆ディマジオは一九四一年に五十六試合連続安打の金字塔を打ち立てた。レイモンド・チャンドラーの原作にディマジオの名は見えないが、大記録へ歩むひと足ずつに全米が気もそぞろだった当時の世相を映画は伝えている◆全米と日本じゅうがいま、マーロウだらけだろう。イチロー選手(マリナーズ)が三十日の試合で今季二百五十六本目となる安打を放った。ジョージ・シスラー選手が一九二〇年につくったシーズン最多安打記録「257」まで、あと一本である◆バットを振りかけたものの途中で凡打になりそうだと分かるや、イチロー選手は空振りを狙いにいくことがあるという。至難の技で、「数えるほどしか、できたことはありません」と昨年、本紙の取材に語っている◆「ボールに当てる習性が身についているから難しい」。いかにして当てないか、天才には天才の水準でハードルがあるらしい。能力の極限へ歩む人には大記録も一つの里程標だろう◆「イチローはきょう、何本打った?」。二〇〇四年を舞台にした映画のなかで登場人物がそう尋ねるせりふを、いつの日にか聞けるかも知れない。(編集手帳)