人生は一箱のマッチに似ている

 「とことんついていない」。年金改革法を人生に見立てれば、そんなぼやきも出てくるだろう。紆余曲折(うよきょくせつ)を経てやっと世に出たと思ったら、条文にミスが見つかった。どこまでも「悲運」がつきまとう。

 こんな言葉がある。「人生という迷路では、歩くことに習熟する前に誤った道を選んでしまうことがある」(C・コノリー)。改革法も、そもそもの設計がずさんだった。基礎になる数字があやふやで、給付額や負担額の予測がぐらつき続けた。設計の土台になるはずの出生率の見込み違いまであった。データを出し惜しみした気配もある。

 立法にかかわる政治家たちのずさんさも明らかになった。「未納ドミノ」で辞める者、開き直る者、いろいろいた。未納問題ではないものの、小泉首相の「人生いろいろ」発言の軽さにも驚かされた。政治家たちにもてあそばれた、との無念の思いは消えないだろうし、強行採決による成立という刻印もつきまとうだろう。

 芥川龍之介の有名な言葉を思い浮かべる。「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦(ばか)々々しい。重大に扱わなければ危険である」。小泉首相をはじめ、重大さへの感覚の鈍い人があまりに多かったのではないか。

 改革法には、さらなる試練が待ち受ける。きょう公示の参院選では、いろいろ欠陥があげつらわれるだろう。設計から成立までのさまざまな不具合をかかえたまま国民の審判を受けることになる。

 芥川は「人生は地獄よりも地獄的である」とも書いた。ただし法律は、人生に比べてやり直しが容易だ。
(天声人語)

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