胡蝶の夢

浅草寺

 荘子は夢でひらひらと舞う胡蝶(こちょう)になった。楽しくて心地よく、もう自分が荘子であるのを忘れていた。ふと目がさめると、自分はもとの荘子である。さてさて荘子が夢で胡蝶になったのだろうか、それとも胡蝶が夢で荘子になったのか▲中国古代の思想家・荘子の「胡蝶の夢*1」だ。ただ、そこから先がちょっと難しい。荘子と胡蝶は別のものだが、その移り変わりが「物化*2」だという。この物化が何とも分かりにくい。つまりは荘子と胡蝶は同じものの変化にすぎないらしい▲ファッションデザイナーの森英恵*3さんが小学4年まで暮らした島根県六日市町では、春になると大根畑にモンシロチョウやモンキチョウが舞っていたという。ひらひらと飛び交う蝶は、そのまま厳しい冬の後に訪れる春の喜びのイメージになった▲引退を表明していた森さんのパリ・オートクチュール(高級注文服)コレクションでの最後のショーでも、蝶を大きくあしらったロングドレスのモデルがフィナーレを飾った。会場はファッションショーには珍しいスタンディングオベーションで涙ぐむ森さんに拍手を送ったという▲振り返れば森さんが服飾の世界に入ったのは、働く女性は職業婦人といわれ、デザイナーがドレスメーカーと呼ばれ、日本の衣料品が安物の代名詞にすぎない時代である。森さんは、その時どんな夢を見たのだろう。日本の伝統美に生命を吹きこまれた蝶が、世界中を舞う姿が見えたのだろうか▲今後はビジネスから身を引き、映画や舞台衣装のデザインや、若手育成にあたるという。そういえば「太陽の季節」や「秋刀魚の味」「挽歌」など日本映画の黄金時代の衣装で才能を認められた森さんである。春の喜びを軽やかに舞う蝶の夢は終わらない。(余録)

*1:荘子斉物論](荘子が夢で胡蝶になって楽しみ、自分と蝶との区別を忘れたという故事から) 現実と夢の区別がつかないこと。自他を分たぬ境地。また、人生のはかなさにたとえる。蝶夢。「広辞苑

*2:老子」と併称される道家の代表著書。荘周著。現行本は内編7、外編15、雑編11から成る。内編(逍遥遊・斉物論など)は多くの寓言によって、万物は斉同で生死などの差別を超越することを説く。外編・雑編は内編の意を敷衍ふえんしたもの。「広辞苑

*3:蝶はやがて、「ハナヱモリ」ブランドを象徴する意匠として世界に知られるようになった。ドレスを染めた漆塗りのような朱色が「マダム・モリの赤」と海外で紹介されたように、日本人の美意識を大事にする創作の姿勢は、いまに至るまで変わっていない。「編集手帳」2004/07/09