それぞれの人生の物語

 「お盆の買い物に行く」。そう言って曽我ひとみさんと母親のミヨシさんが近所の雑貨店に買い物に出たのは26年前の8月12日の夕方だった。もしこの時外出しなかったら、曽我さん母子はどんな人生を送っていただろう。誰よりも、曽我さん自身が何度も繰り返し問い直したことであろう▲「私って何てややこしい人生になったんだろう」。2度目の首相訪朝の際に曽我さんは語ったという。だが会見では、他の家族の再会を喜び、訪日を拒んだ夫や子供を優しく気遣う姿が人々の心を揺さぶった。そこには「ややこしい人生*1」を強く生きる決意のようなものが感じられたからだ▲むごく、理不尽な運命は、時にそんなふうに人を強くするのだろうか。卑劣な拉致犯罪によってバラバラに分断され、権力にほんろうされた人生である。それをすべて「私の人生」として引き受け、自分が主人公である人生の物語を編み直すのは、そうは容易でなかったはずだ▲夫のジェンキンス*2さんは、かつて自らの意思で祖国を捨て北朝鮮での暮らしを選んだ。彼には彼で、その心の中でひとつながりとなった人生の物語があるのだろう。むろん2人の子供たちにも北朝鮮で成長する中ではぐくまれた自分の物語があるはずである▲4人のジャカルタでの再会は、それぞれの人生の物語を、家族いっしょの時間のなかでつむぎ直すことになるだろう。空港に降り立った3人と曽我さんの対面は、まずは1年9カ月ぶりの温かな抱擁から始まった▲今は思わぬ別離がもたらした家族の物語の空白をゆっくりと埋めてもらいたい。そのやり取りを通して、それぞれの人生の物語を見つめ直してもらえればいい。「幸せの選択」は、その営みのなかでおのずと生まれるものと信じたい。(余録)

*1:いてつく北で結ばれた脱走兵と拉致被害者の数奇なきずなには、日米それぞれの戦後社会のトラウマが浮かび上がる。「春秋」2004/07/10

*2:韓国駐留の米兵だった1965年1月、38度線を越えて北朝鮮に脱走した。24歳の若者はベトナムの戦場へ送られるのを逃れたかったといわれる。この年米軍は北ベトナムへの爆撃を開始、国内では黒人運動指導者マルコムXがテロの銃弾で落命した。「春秋」2004/07/10