「弱い善人」が最も嫌いだ

 ある新聞社の主催する経済関係の出版文化賞に、経済学者の森嶋通夫氏が内定した。担当者が電話で「おめでとうございます」と受賞を知らせた◆森嶋氏は電話口で答えた。「おめでとうとは受賞が光栄な場合に第三者が使う言葉で、もらって頂けますかと言うべきです」。相手は言い直した。氏は「欲しくありません」と断った◆私の胸のなかは幾分すっとしたと、回想録「終わりよければすべてよし」(朝日新聞社)に書いている。担当者の非礼は明らかだが、へその曲げっぷりが徹底している◆一九七九年(昭和五十四年)、「文芸春秋」七月号に寄せた論文が物議を醸した。「不幸にして最悪の事態が起きれば、白旗と赤旗をもって平静にソ連軍を迎えるほかない」「ソ連支配下でも…日本に適合した社会主義経済を建設することは可能である」と論じた◆ソ連が自壊し、北朝鮮が経済危機にあえぐいま、論旨の不明を笑うのは容易だが、きれいごとと体裁で塗り固めた進歩的文化人に見られない率直さこそ、氏の流儀であったとは言えるだろう◆ノーベル経済学賞の候補に擬せられた多彩な業績と、気難しげな面影を残し、森嶋氏が八十歳で死去した。若い日に、国家が軍部に引きずられる歴史を見てきたからだろう。私は「弱い善人」が最も嫌いだ――と、その語録にある。(編集手帳)