逝きし東京の面影

 幸田露伴の短編「太郎坊」に、低い空をコウモリが舞う夏の夕べ、一家の主人が庭に打ち水をする場面があった。「甲斐甲斐(かいがい)しくはだし尻端折(しりばしょり)で庭に下り立って、蝉(せみ)も雀(すずめ)も濡(ぬ)れよとばかりに」威勢よく水をまく◆江戸の俳人榎本其角(きかく)に、「水打てや蝉も雀もぬるゝほど」という一句がある。露伴の文章は其角の句を踏まえたものだろうが、水しぶきに驚いて飛び立つ姿が浮かんでくるようで、涼味の漂う描写である◆ささやかな「打ち水」も百万人が心をそろえれば、熱した日本列島を幾らかでも冷やせるかも知れない。民間団体と国土交通省が呼びかけて八月十八日から八日間、百万人の「打ち水大作戦」が催される◆正午から一時間、風呂の残り湯やエアコンの室外機から出た水などを使い、家庭や職場で打ち水をしてもらう。誰でも参加できる。蝉や雀の遊ぶ庭ではなく熱いコンクリートが相手では風情には欠けようが、時代で仕方あるまい◆主人は打ち水のあと銭湯で汗を流し、花ござを敷いた縁側で酒を飲む。さかなはナスの鴫(しぎ)焼き。岐阜提灯(ぢょうちん)に涼しげな明かりがともり、梧桐(あおぎり)の茂みから夏の庭は暮れていく◆「一陣の風はさっと起って籠洋燈(かごランプ)の火を瞬きさせた。夜の涼しさは座敷に満ちた」と結ばれている。明治の夏、冷房はなくとも涼味に満ちた逝きし東京の面影である。(編集手帳)