幸田文の浴衣

 じわじわと暑さが募るこの時期の湿気というものは、世界にも、そうは無いだろうと思う。多少なりとも気分をからりとするために、浴衣の季節到来と考えてみる。

 百貨店の売り場を巡ると、浴衣姿の若い売り子が並び、着物に詳しそうな年配の店員も居た。総じて右肩下がりの世の中だが、浴衣の肩は下がっていないらしい。赤や黄の鮮やかな新作ものを見ていて、対照的な幸田文の浴衣が思い浮かんだ。

 「袖巾は半分にきりつめ、衽をとってそれをつぎ裂にしたから、衽なしになった」。なじみの薄い言葉が並ぶが、衽(おくみ)は、和服の前の左右に縦長に付いている布だ。それを外して継ぎ布にしたのは、もののない敗戦の前後に「四度の夏をしのごう」として、膝(ひざ)が抜けてしまったためである。

 幅の狭くなった浴衣に身を包んで父・露伴をみとる時は「膝をわるまいとして苦労した」と記す。「その着物で平気でいるとは、おまえさんもまずは着物を着こなした、といえるかね」と父がいたわる。(岩波書店幸田文全集』「花ゆかた」)

 「この破れゆかた一枚身にまとっていればこそ、裸ではないのだ、というぎりぎりいっぱい、いわば土俵ぎわのつっぱりみたいな、耐えかたがあった」。その夏に露伴逝く。「いいゆかただったとおもう。流水に桜のもようだった」と文。

 江戸の古典浴衣を復元した、江戸小紋人間国宝、小宮康孝さんが言ったという。「(藍(あい))一色でなにもかも表現してしまう。これが本来の浴衣の魅力です」。素足にげた履き、浴衣がけ。そんな宵も、時にはいい。*1

*1:天声人語2003年7月20日