教養主義の限界

フシグロセンノウ 2002

 60年前、18歳のときに岩波茂雄岩波書店創業者)に出した手紙が書店内に保存されていた。ベストセラー「清貧の思想」で知られ、先日79歳で他界した作家、中野孝次さんが「これには大いに驚いた」と書いている(「十八歳の自分に逢う」図書03年12月号)▲戦時下の昭和18年、書物までが統制になり、岩波の本が入手できない。今度復刊される「三太郎の日記」(阿部次郎著)をどうかおゆずりください。伏してお願いします−−と、巻紙に筆でつづり、懇願していた▲「三太郎の日記」はいわば岩波が中心になって築いた教養主義の象徴だ。当時、旧制第五高等学校(現熊本大学)を受験するために猛勉強のかたわら、送ってもらったその本を熟読した。進学後、阿部宅を訪ねたが、失望は大きかった▲「(阿部は)もうじき兵隊にとられてアメリカとの戦いに死ぬ覚悟をした若者に対し、あいまいな意見を口にするばかりだった。わたしはそれが『あれもこれも』とあらゆる教養を身につけようという『三太郎の日記』の教養主義の限界と見えた」と。結局、それを古本屋に売り、出征した▲その手紙は夏目漱石与謝野晶子の書簡とともに「岩波茂雄への手紙」(同書店)に収められ、中野さんは「(教養主義の)最後の時代の一つの証言」と振り返る。教養よりも語学力や情報技術力が役立つと、多くの大学から教養学部や教養課程が消えて久しい。だが、教養を軽視してはならない▲価値観が揺らぎ、将来への展望を持ちにくい現代にこそ、思索や読書の習慣を身につけ、人生を見渡すことが大切だ。長い夏休みはトルストイの「戦争と平和」など長編小説を読むのにいい機会だ。木陰で本に涼を求める緑陰読書の「清貧」な余裕は保ちたい。(余録)