「そんなことはない」

ワタスゲ 04

 「金なんか邪魔だから、当たったら半分やるよ」。大金持ちを装った宿屋の客、なけなしのお金で富札を買って、宿の主人に大言壮語する。その富札が、なんと千両の大当たり。驚いて宿に帰った客は寝込んでしまう▲古典落語の「宿屋の富」である。宿の主人も動転し、下駄(げた)のまま座敷に上がって客を起こす。すると客は「千両ぐらいで騒ぐんじゃない。ちゃんと半分やるから、下駄ぐらい脱いで」とたしなめる。それでも主人がともかく起きてくれと布団をめくれば、客の方も草履のまま寝ていたとのオチだ▲富くじをめぐる落語には、盗まれないかと気がかりだった賞金千両がとうとう盗まれ、「これで苦労がなくなった」と安心する「水屋の富」もある。思いがけなく手に入れた大金に右往左往する人のさまは庶民の笑いのタネだ。だが世の中、お金に振り回される人ばかりとは限らない▲なにしろ「半分」などと半端はいわない。まるまる2億円の宝くじの当選券が福井豪雨の被災者への支援にと匿名で送られてきたという話である。熊さん八つぁんも、その気っ風には仰天するだろう。むろん落語でも、おとぎ話でもない実際の出来事だ▲人の心は、時にちょっと現実離れした奇跡を起こすことがある。それを教えてくれたのは宝くじの篤志家だけではない。炎天の福井や新潟の被災地を訪れた2万人以上のボランティアもまた、被災者ばかりでなく、それを見守る日本中の人の心に小さな奇跡を起こしたように思える▲「日本人の胸中、猶(な)ほ未(いま)だ熱き同情の存する」とは、関東大震災の救援活動に感激した内村鑑三だ。いつの世も「人情はすたれた」と嘆く人はいる。だが「そんなことはない」。今度も、人々の善意と献身は、そうはっきり示してくれた。(余録)