高度成長という「鉄球」の破壊力

ベニバナ 01

 クレーンにつり下げられた鉄球が画面いっぱいに現れ、古い建物を崩していく。記録映画「東京オリンピック」(市川崑監督)は、その場面から始まる◆評論家の川本三郎さんは「東京つれづれ草」(ちくま文庫*1のなかで、昭和三十年代に身の回りから消えていったものを挙げている。ちゃぶ台、蚊帳、たらい、おひつ、物干し台、割烹着(かつぽうぎ)を着て箒(ほうき)で掃除をする母…◆敗戦は日本の政治の形を一変させたが、人々の暮らしはそう変わらなかった。変わっていくのは昭和三十年代、「とりわけ東京オリンピック以降だ」と川本さんは言う。高度成長という「鉄球」の破壊力であったろう◆消えていった品々には、使い込むほどに味が出て、趣を増していったものが少なくない。買ってきたその日が最高で、次第に価値の減じていくものに現在は囲まれていることに気がつく◆まもなく街の話題は五輪一色に染まっていく。東京五輪から四十年の今年、アテネから届く祭典の熱気に触れて、当時の暮らしぶりや身の回りの品々を懐かしく思い起こす人もいるだろう◆「こんな記録映画があるか。作り直せ」。映画の試写を見た河野一郎・五輪担当相は酷評した。不快の情を誘ったものは、市川監督の目がカメラを通して鋭敏にもとらえた“ほろびゆくもの”の後ろ姿であったかも知れない。(編集手帳)

*1:良寛の有名な歌に「世の中にまじらぬとにはあらねども ひとり遊びぞわらはまされ」とあるが、大都会・東京にはひとり遊びを満喫できる自由が存在する。そして、筆者の川本三郎にとっての「ひとり遊び」は、都会の孤独を楽しめる気ままな路地裏散歩なのだ。-Amazonレビュー