「いざ生きめやも」

ノウゼンカズラ 01

 「風立ちぬ、いざ生きめやも」。堀辰雄の小説「風立ちぬ」で、主人公がつぶやく。フランスの詩人バレリーの「風が起きた。生きねばならない」という意味の原詩を文語調に翻訳している◆国語学者大野晋さんによれば、これは“誤訳”であるらしい。「生きめやも」だと「生きようか、いや断じて生きない、死のう」の意味になるという(中央公論新社「日本語で一番大事なもの」)◆文法に弱い身は、「そういうものかしら」とうなずくよりないが、流麗な堀訳は忘れがたい。感動詞「いざ」に導かれ、血潮の潮位が増していく読後感は訳し手の手柄だろう◆結核を病み、長い療養生活を過ごした堀は、「美しい村」「菜穂子」などの代表作を残し、一九五三年(昭和二十八年)、病魔と連れ添った四十八年の生涯を終えた。今年は生誕百年にあたる。終焉(しゅうえん)の地、長野県軽井沢町の自宅はいま、記念館になっている◆先日訪ねた折、深い親交を結んだ国文学者、折口信夫の寄せた弔歌を見た。「菜穂子の後 なほ大作のありけりと そらごとをだに我に聞かせよ」。うそでもいいから――切ない呼びかけは、円熟の季節を待つことなく逝った作家その人の無念を語って余りある◆「いざ生きめやも」…。その言葉が文法を超えて輝きつづけるのは、人生の重い結晶だからだろう。(編集手帳)