夏の音

ヒマワリ 01

 夏の音というと、まずセミの鳴き声を思い浮かべる。騒々しい音とはいえ、夜になれば静まるし、秋風とともにやがて消えていく。騒がしさのなかに移ろいのはかなさを秘めている。

 風鈴はどうだろうか。音で風を知り、涼しさを感じる。昔の人の知恵である。こちらは、ときおり微風に揺れて、ちりんと澄んだ音を響かせる。それくらいが好ましい。騒がしく鳴り続けては興ざめだろう。実際、近隣騒音として苦情の対象にもなるらしい。〈風鈴の鳴らねば淋し鳴れば憂し〉(赤星水竹居)

 風鈴は、涼しさだけでなく、怖さにつながることもある。静まりかえっているなかで不意に聞こえてくると、ぞくっとさせられる。不吉な使者の到来を思わせるときがある。〈ま夜中の風鈴が鳴るおそろしさ〉(萩原麦草)

 セミの鳴き声は、アブラゼミの暑苦しいジージー、降り注ぐようなクマゼミのシャーシャーなどいろいろ形容されるが、こんな表現もある。〈母逝き四十九の昼すぎぬ呪(じゆ)といひて幹をはなるるつくつく法師〉(岡井隆)。四十九日の法要の午後、法師と名のつくセミが「呪」と鳴いて飛び去る象徴的な光景だ。

 長い地中生活を終えてわずか1、2週間、地上で鳴いて命絶える。セミの一生への共感もあって、人々は自分の思いをさまざまに託す。

 〈蝉時雨(せみしぐれ)子は担送車に追ひつけず〉(石橋秀野)。結核を病んだ彼女は壮絶な闘病生活の末、戦後まもなく38歳で亡くなった。ベッドに横になって運ばれる自分と後に残す幼子、そしてセミしぐれとが哀(かな)しく響きあう絶唱だ。

(天声人語)