不評日本語

 「させていただきます」「じゃないですか」「あげる」「いやし」「な」。エッセイストの高島俊男さんが『キライなことば勢揃(せいぞろ)い』であげている最近の「不評日本語」の例である。つい使っていたという「自覚症状」はありませんか。

▼「な」は「○○を試みたいな、と考えて」など政治家によく聞く言葉遣い。どれも文法や規範を著しく逸脱しているわけではないが、どこかに裏返しの押しつけがましさがある。文化庁の日本語に関する意識調査によると「なにげに」や「むかつく」といった若者語や過剰敬語が大人たちにも浸透しているという。

▼慣用句などを本来と違った意味で理解している人の割合も増えた。「檄(げき)を飛ばした」が「元気のない人を活気づけた」ということになり、「姑息(こそく)な手段」に「卑怯(ひきょう)な」という意味合いが濃厚になる。時代や地域、世代などで言葉が意味上の「転訛(てんか)」を遂げた例は少なくないが、意味の落差が広がれば誤解も生じる。

民俗学者柳田国男の両親は感謝の気持ちを伝えるときに人々が「ありがとう」というのを嘆いたという。本来「世にもまれ」で神仏に手を合わせる場面にふさわしい言葉が、いかにも安直に使われるのが忍びなかったのだろう。言葉は生き物。世につれて変わりゆくとしても、本来の輝きと美しさは失いたくない。*1

*1:春秋2004年7月31日