五番町夕霧楼

 東京の街はあの「39・5度ショック」から立ち直れないかのように見える。日本中がまだ炎暑にうだっている。静岡県浜松市で開かれている「浜名湖花博」では、ヒマワリやユリなどが高温のため早く咲き過ぎ、抑えるのに苦労しているそうだ。

 ▼そういえば、夏の花サルスベリも、今年はことのほか勢いがいいようだ。百日紅ともいうように、真夏に三カ月余りも咲きつづける。枝いっぱいにピンクや赤の花をつけた姿は、遠くからでもそれとわかる。はてエゴチスト(自己吹聴者)ではないかとさえ思わせる。

 ▼しかし、水上勉氏の小説『五番町夕霧楼』では、この木が薄幸な女性の象徴のように描かれている。丹後から京都に出てきた遊女が金閣寺(小説では鳳閣寺)の学僧と恋に落ちる。学僧はやがて寺に火をつけ、遊女は故郷に帰り自殺する。それが百日紅の花の下なのだった。

 ▼水上氏にとって百日紅は決して華やかな花ではない。むしろ暑さと乾きに耐えながら、けなげに咲きつづける花と映ったのだろう。余談だがこの小説が映画化されたとき、ラストシーンを彩る百日紅は、わざわざ京都からロケ地に移植されたのだという。

 ▼そんな百日紅とは対照的に、目立たない夏の花がエンジュである。最近街路樹としてよく植えられているが、今年はやはり例年より早く散りはじめた。淡く黄色く小さな花が、歩道に絨毯(じゆうたん)をつくる。少々滑りやすいが、たまゆらの間だけでも暑さを忘れさせてくれる。

 ▼おもしろいことに、このエンジュの花は木に咲いている間は濃い緑の葉にまぎれてしまっている。散って後に初めてその可憐(かれん)さに気がつくのである。これも何やら、人の生き方を象徴しているように思えてならない。花もいろいろ、である。*1

*1:産経抄2004年7月25日