父と暮せば

ヒルガオ 01

 「私は逃げたのです。瀕死(ひんし)の重傷を負った学友を救おうともせず、卑怯にも逃げてしまったのです……」。映画監督の黒木和雄さんは、新刊の『私の戦争』(岩波ジュニア新書)で、45年に学徒動員先で空襲に遭った時のことを書いている。

 米軍機に爆撃され、一緒にいた10人は、ほとんど即死状態だった。なぜ自分だけが生き残ったのか。戦後もこの問いをひきずってきた黒木さんは、10年前に、井上ひさしさんの芝居「父と暮せば」を見た。

 原爆投下から3年後の広島で、生き残ったことに負い目を抱き、幸せになるのを拒もうとする娘がいる。親友を失い、建物の下敷きになった父を見捨てて逃げたことを悔いるヒロイン美津江の姿が自分と重なった。

 映画「父と暮せば」は、「TOMORROW/明日」「美しい夏キリシマ」に続く黒木さんの「戦争レクイエム」の3作目だ。東京、長崎と共に先行上映されている広島で、映画を見た。広島弁が、耳に新鮮だ。周りに座っている人たちも、この言葉と共に暮らしてきたのか。

 ここ広島や長崎に限らず、生き残ったことを背負って生きてきた人は多いだろうと思った。生き残ったというより、生き残された、生き残らされた、との思いもあるかもしれない。

 ややひょうきんな幽霊となって現れる父、竹造(原田芳雄)が美津江(宮沢りえ)に言う。「わしの分まで生きてちょんだいよォー」。それは、「あの日」を伝えてゆくことかと思い至った娘がつぶやく。「おとったん、ありがとありました」。監督自身のつぶやきとも聞こえた。
(天声人語)