カルティエブレッソン

カラスウリ 01

 言葉が独り歩きし、ある人物を語るとき枕詞(まくらことば)のように使われるだけでなく、流行語になり、やがては歴史に残る言葉になってしまう。今週、95歳で亡くなった20世紀を代表する写真家アンリ・カルティエブレッソンをめぐる「決定的瞬間」という言葉もその一例だ。

 1952年、母国フランスとアメリカで同時発売された写真集の題名に由来する。原題を離れて英訳が『決定的瞬間』とした瞬間、この言葉は勝手に飛翔(ひしょう)を始めた。もちろん写真の衝撃力があればこそである。誤訳とはいわないが、意訳による思わぬ展開だった。

 歴史的事件の瞬間をとらえた写真集ではない。フランスの詩人が「まったく奇蹟に類するあの傑作」と評した写真は、水浸しの広場で男がひょいと跳び上がる光景である。やがてパリの雑踏に消えていったであろう無名の男も、自分の姿が歴史に刻み込まれるとは夢にも思わなかっただろう。

 カルティエブレッソン自身、目立たない風貌(ふうぼう)の人だった。一瞬にして周りに溶け込み、雑踏に紛れ込むことができた。写真家木村伊兵衛は、忍者のようだ、と形容した。被写体を見つけると、動きが速くなり、不意に姿を消したりする。獲物を狙うハンターのようでもあったらしい。

 「最も些細(ささい)なことが大きな主題になりうる」。そう考える彼は「日常」のなかに「非日常」をかぎつける人だった。「瞬間」に「永遠」を見つける人といってもいいかもしれない。

 彼の写真を見ていると、ささやかな人生も、身近な街角も「決定的瞬間」に満ちていることを思い知らされる。
(天声人語)