ミソハギ 01

 中国戦国時代の思想家・荘子は、優れた自然観察家でもあったらしい。先日の小欄で紹介した「胡蝶(こちょう)の夢」(http://d.hatena.ne.jp/chimimouryou/20040709)もそうだが、よく自分の考えを自然界の虫や動物で表した。「けい蛄(こ)(セミ)は春秋を知らず」というのもその一つだ▲夏のわずかな間だけ地上で命を燃やし尽くすセミは、春と秋の違いを知らない。命のはかなさを示した言葉だが、そのセミによって人はめぐる季節を知る。人間もまた自分では知ることのできない何か大きな循環の中で生かされているのかもしれない▲東京は真夏日の連続記録を更新中で、列島各地から記録破りの猛暑のニュースが届いている。だが、炎暑をもたらす日差しも西に傾けば、カナカナというヒグラシの声が耳につくようになった。はかない命が織り成す季節の移ろいを、ふっと思い起こさせる少し寂しげな声でもある▲ツクツクボウシとともに「秋の蝉(せみ)」とされるヒグラシだ。しかし、実は先月あたりからもうとっくに鳴き始めていたらしい。梅雨明けごろから声が聞かれるため「初蜩(ひぐらし)」は夏の季語だという。また夕方ばかりでなく、朝方や昼間の暗い時も鳴くのだが、やはり記憶に残るのは晩夏の日暮れだ▲秋のセミといえば、寒くなってアリに救いを求めるイソップのセミも思い出す。セミのいない地方ではキリギリスやコオロギに置き換えられたが、イソップが活躍したギリシャセミの生息地だった。そこでは地上では短命なセミが、むしろ不死や復活を象徴していたらしい▲昆虫学者のマイアーズによれば、古代アテネ人の間ではセミの形をした金の髪飾りが流行し、アテネ市民のシンボルになったことがある。さて今、晩夏のアテネにもセミはいるのだろうか。試しに五輪中継の合間に耳をすましてみよう。(余録)