記憶のなかに翻る日の丸

 日本人で初めて五輪の金メダルを手にしたのは、一九二八年(昭和三年)の第九回アムステルダム大会、陸上三段跳び織田幹雄選手である。表彰式の「君が代」と「日の丸」は長く語り草になっている◆君が代は初めの一節を飛ばし、途中の「千代に八千代に」から始まった。日本がよもや金メダルを取るとは思わず、開催国オランダの音楽隊は君が代の演奏をあまり練習していなかったらしい◆メーンポールには通常の四枚分、特大の「日の丸」が揚がった。当時の写真を見ると、両隣の旗とはタオルと風呂敷ほど違う。織田さんが優勝した時にはその体を包んで祝福しようと選手団で用意していたものが、手違いで掲揚されたという。興奮の様子が目に浮かぶ◆織田さんから数え、夏季大会の通算金メダル九十八個で迎えたアテネ五輪である。柔道女子48キロ級の谷亮子選手は九十九個目、男子60キロ級野村忠宏選手は記念すべき百個目にあたる。それぞれ二連覇、三連覇で花を添えた◆「前畑、がんばれ」の前畑秀子さん(十三個目)。「東洋の魔女」たち(三十八個目)。十四歳の王者岩崎恭子さん(八十八個目)。Qちゃんスマイルの高橋尚子さん(九十八個目)。「ちょー気持ちいい」の北島康介選手(百二個目)…◆記憶のなかに翻る日の丸は、どれも大きく、忘れがたい。(編集手帳)