思ハザル

 鎌倉時代の説話「沙石集」に歌がある。「言ハザルト見ザルト聞カザル世ニハアリ思ハザルヲバイマダ見ヌカナ」。言わない、見ない、聞かない――は口と目を閉じ、耳をふさげば、できる。「思わない」のは至難の業だ、と◆無心になれば、余計な力が抜けて好ましい結果が出る。世の万般に通じる極意とは分かっていても、歌にあるように言うべくして難しい。「考えるな」と言われて考え込み、「力を抜け」と言われて力み返った経験は誰しもあるだろう◆指揮者の岩城宏之さんは、「力を抜くには、あり余る力がなくてはならない」と、随筆に書いている(文芸春秋「指揮のおけいこ」)。「思ハザル」無心の境地も、あり余る力を蓄えた人だけが到達できる高みであるのかも知れない◆アテネ五輪の体操男子団体で、日本が二十八年ぶりの金メダルに輝いた。最終種目の鉄棒で、最後の冨田洋之選手がきれいに着地するまでの何秒間か、見ていて、心なしか胃のあたりに痛みを覚えた◆指の届く先の金メダルも、落下すれば、あるいは着地が乱れても幻と消える。自分の手足が仲間の夢をかなえもし、壊しもする…。重圧をものともせぬ伸びやかで無心の演技は、鍛えに鍛えた「あり余る力」の賜物(たまもの)であっただろう。見事というほかはない◆「思ハザルヲバ シカト見シカナ」(編集手帳)