打ち水の「風」

 「我が家の家憲としては十一二歳を越すと朝の掃除を一様にさせること……玄関掃除、門口に箒(ほうき)目を立てて往来の道路まで掃くこと、打ち水をすること、塀や門を拭(ふ)いたりすること、敷石を水で洗いあげることを、手早く丁寧にやらなければならない」▲明治12(1879)年に日本橋通油町に生まれた女流作家の長谷川時雨(しぐれ)は、子供のころの朝を「旧聞日本橋」にこう記す(一部略)。父は法律家だったが、一家総出の掃除は商家だった祖父の時代からの「家憲」なのだろう。その一日は水を打ち、門口をきれいに整えるところから始まった▲土ぼこりを鎮め、出入り口を清める打ち水は四季をとわない。水を打つのは人を招き入れる心のけじめにもなる。「水打ってそれより女将(おかみ)の貌(かお)となる」は鈴木真砂女の句だ。打ち水は土ぼこりばかりでなく、人を迎える心のざわめきも鎮める▲一方で打ち水には下村非文のこんな句もある。「水打って石より風の起こりけり」。こちらは打った水が呼び起こす風を心の目がとらえている。実際にも水をまけば気化熱でそこの温度が下がり、気圧の部分的変化を招いて風が起こる理屈である▲風呂の残り湯などによる打ち水で、ヒートアイランド現象にあえぐ都会を冷やそうという「打ち水大作戦」が18日から各地で始まった(25日まで)。開幕日と最終日の正午には一斉打ち水で気温を下げる昨年に続いての企画とともに、今年は「風を起こそう」との合言葉も掲げられた▲「風」とは、都市環境やエネルギー問題を考えるきっかけとして打ち水が広がることをも願っての合言葉らしい。街を冷やす水が、風を起こす水となり、また人を迎え入れる水になるのか。とりあえず水を打って涼みながら考えればいい。(余録)