「あとみよそわか」

シロバナマンジュシャゲ 03

 幸田露伴は娘の文(あや)に掃除を稽古(けいこ)させた。鍛錬と呼べるほどの厳しさで、ぞうきんの絞り方、用い方、バケツにくむ水の量まで指導は細かい。終わると「あとみよそわか」と呪文(じゅもん)を唱えさせた◆「あとみよ」は「跡を見て、もう一度確認せよ」、「そわか」は成就を意味する梵語(ぼんご)という。江戸の草双紙にも「後看世蘇和歌」とあり、露伴の造語ではないらしい◆「父 その死」「流れる」などで知られる幸田文の今年は生誕百年にあたる。父との思い出などを語った随筆集の新装版も刊行された。端正で生き生きとした文章に、改めて接した読者もいるだろう◆作家の村松友みさんが編集者時代を回想した「夢の始末書」(角川書店)に、文の言葉がある。「あたしは、自分が物を書かせてもらってるって気があるから、何か躯(からだ)を痛めないと申し訳なくってねえ」◆縄文杉を見、北洋漁業を見、捕鯨を見、七十歳を過ぎてからは富士の大沢崩など全国の崩壊地を訪ね歩いた。苦労なしに書いたものが褒められるのを何よりも恥じた作家の、「躯を痛める」旅であっただろう◆一九九〇年秋、八十六歳で亡くなった。「努力しないで生きてゆくことは幸田の家としてもない生き方なのです」という言葉も残している。立つ跡の美しく、凛(りん)とした面影の懐かしい「あとみよそわか」の人である。(村松友みさんの「み」は「示」の右側に「見」)(編集手帳)