下駄の音

フジバカマ 01

 小泉八雲ラフカディオ・ハーン)が没して二十六日でちょうど百年となる。一八五〇年、ギリシャに生まれ、四十歳で来日。島根県松江中学の教師となる。熊本五高を経て、東京帝大、早稲田大に奉職▼最初に泊まった松江の大橋川端の旅館で、夜明けとともに聞こえてくる橋を渡る下駄(げた)の音が、ハーンにこの東洋の神秘の国を忘れがたくさせた▼「kara koro」と「足早で、楽しくて、音楽的で、大舞踏会の音響にも似ている」(『神々の国の首都』)。帰化して妻節の姓小泉に「八雲」を名乗ったのも松江に魅入られたからだ▼下駄といえば、松竹蒲田撮影所の録音技師の思い出の中に、深夜の収録作業で一番困ったのは、遠くから聞こえてくる下駄の音だったという話がある。確かに冬の夜など、「火の用心」の拍子木の音や、銭湯へ急ぐ足早の下駄の音は遠くまでよく響いたものだ。最近はゴム底スニーカーが主流だから忍び足だ。人の歩く音が街から失われたことに今さらのように気付く▼代表作の『怪談』を英語の副読本として読まされた高校生も多かろう。この作品を一九六五年に映画化したのは小林正樹監督だった。「耳なし芳一」の平家物語の語りの中で、壇ノ浦に飛び込んだ女官たちの裳裾(もすそ)が水中で翻るシーンや、岸恵子演じる「雪女」の美しさは忘れられない▼晩年狭心症を病んだ。日本の変貌(へんぼう)に幻滅を感じつつ、日露戦争の最中、東京都新宿区大久保で亡くなった。日本人はそんなハーンが書き残した美しい伝承をわが物語として愛している。(筆洗)