時代の鏡像

ヘチマ 01

 フランスからいろいろ新しいものが流れ出てくる時代があった。文学、美術、思想から映画、ファッションまで。1950年代がそんな時代だった。50年代半ば、18歳の女子学生が書いた小説があれほど熱狂的に迎えられたのも、一つには強烈なフランスの香りに魅せられたからかもしれない。

 フランソワーズ・サガンの『悲しみよ こんにちは』は54年にフランスで出版され、翌年には英訳、邦訳などが出て世界的ベストセラーになった。17歳の女の子が主人公で、青春の輝き、倦怠(けんたい)、残酷さなど揺れ動く心理が覚めた文体で描かれる。

 題名はP・エリュアールの詩からだ。冒頭にその詩を掲げる。「悲しみよ さようなら/悲しみよ こんにちは……」。この題名が生涯彼女につきまとった。先週の彼女の死に際しても、フランスをはじめ世界中の新聞の見出しに「こんにちは」と「悲しみ」があふれた。

 たくさんの小説や戯曲を書いたが、酒、麻薬、賭博、交通事故、結婚と離婚の繰り返しなど生涯は奔放といえば奔放、破滅的だった。仏紙は「彼女は人生を疾走した」「彼女はサガン以上の存在だった。作家、女、時代そのもの」と悼んだ。

 詩人の大岡信さんが紹介するエリュアールの詩の一節を思い浮かべる。「年をとる それはおのれの青春を 歳月の中で組織することだ」。サガンはエリュアールの言葉に青春を託しながら「歳月の中で組織する」ことをついにしなかったのではないか。

 多くの人にとって、時代の鏡像、青春の鏡像として生き続けるのだろう。
(天声人語)