チンギス・ハン

 大学でモンゴル語を学んだ当時、司馬遼太郎さんはモンゴル人にとって土を掘るのはタブーだと習ったそうだ。講演で司馬さんはその話を紹介しながら、モンゴル人が遊牧を営む草原は土壌が薄く、一度掘り返すと草が生えにくくなるのだと語っている▲だから遊牧民の移動式住居ゲルは土を掘らなくとも出来る。“何もない草原”こそが財産であり、土を掘って建物を作ったり、耕すのはモンゴル人にとっては文明破壊になるわけである(草原からのメッセージ・「司馬遼太郎全講演5」朝日文庫所収)▲そんな論議を思い出したのは、モンゴルの草原のどこかに潜むチンギス・ハンの墓のありかが、にわかに関心を呼んでいるからだ。日本とモンゴルの合同調査団が墓の近くにあったとされる霊廟(れいびょう)跡を確認したことから、目印ひとつないといわれる墓そのものの発見へ大きく前進したのだ▲目印のないのは盗掘を恐れたためだが、白石典之・新潟大助教授は「生きるために大切な草原に物をつくらないのが遊牧民の正しい姿で、チンギス・ハンはそれを守った」と語る。なるほど“何もない草原”から世界史に躍り出たチンギス・ハンは、またそこへ戻ったわけだ▲彼の生んだモンゴル帝国も結局は草原へ帰った。元の末期、支配民族のモンゴル人は「土地に執着せず、風のように騎馬で北の草原に帰って行った。そういうふしぎな滅亡の形を当時、北帰とよんだ」(「韃靼疾風録」中公文庫)。これも司馬さんの指摘である▲島国でわずかな耕地にとりつき、富を蓄えてきた日本人の発想とは対照的な草原の美学だ。地元では外国人の発掘に反対する声が強いのも分かる気がする。世界史的謎の解明には胸躍るが、ここは文明間の対話も一段と深めたい。
(余録)