イザベラ・バード

ナナカマド 01

 昨日の早朝、久々の強い日差しに誘われて散歩に出た。秋霖(しゅうりん)というには荒々しい前夜までの風雨で、空も町も洗われている。木々の葉先に、しずくが光る。木漏れ日が、きらめく。季節は違うが〈あらたふと青葉若葉の日の光〉を連想した。

 芭蕉がそう詠んだ日光を経て、英人旅行家イザベラ・バードが北へ向かったのは、1878年、明治11年だった。彼女は、行く先々で好奇の目にさらされる。

 宿の外に千人もが集まったこともあったという。町はずれまで警官が付き添う。「一千の人びとが下駄をはいて歩いてくるときの騒音は、雹(ひょう)がばらばら降ってくる音に似ている」(『日本奥地紀行』東洋文庫

 みそ汁が「ぞっとするほどいやなもののスープ」に見えたなど、食べ物の違いや、ノミや蚊にも悩まされた。それでも、東北を経て北海道まで約3カ月の旅を全うした。

 「私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない……抱いたり、背負ったり……手をとり……子どもがいないといつもつまらなそうである」。学校教育が進む以前の日本の家庭や親子関係を活写しており、今日でも考えさせられる所があると、民俗学者宮本常一さんは述べている(『イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を読む』平凡社)。

 彼女は朝鮮や中国へも旅した。そして、100年前の10月7日、英エディンバラで他界した。72歳で、病床でも日露の戦争の行方を気にしていたという。もう一度アジアに行くつもりで、旅行カバンは常に用意されていた(『英国と日本』博文館新社)。
(天声人語)