鈴とクマ

コハマギク 01

 やっかいな問題を考え詰めて少し疲れたとき、今ならコーヒーを一服したり、音楽を聴いて気分をリフレッシュすることになろう。江戸時代の国学者本居宣長の場合はむろん違う。書斎の柱にかけてある鈴を鳴らしたのだ▲宣長の忌日を鈴屋(すずのや)忌、門人を鈴屋門というのも、鈴好きだった宣長が自らの書斎を「鈴屋」と称したからだ。鳴らした鈴は6個ずつまとめた小鈴6組を赤いヒモにゆわえつけて自作したものである。研究に疲れたおりにヒモを引いて音を聴けば、気持ちがすがすがしくなったと書いている▲宣長にとって鈴の音は、古人の心をしのぶよすがになったようである。澄んだ金属音ながら余計な余韻や残響のない鈴の音は、山桜と同じようによほど宣長の美意識に合ったのだろう。鈴の音に、神を招き寄せ、魔を払う霊的なパワーを感じた昔の人たちの気持ちもよく分かる▲鈴に魔よけの力を求めたのは、ヨーロッパでも同様であったらしい。もっともいま山沿いの地域で、学校に通う児童や、外出する住民が鈴の澄んだ音を響かせながら歩いているのは、クマが近寄らないよう実際的な効能を期待してのことである▲北陸地方や東北地方などで人里へのツキノワグマの出没が相次ぎ、児童全員に鈴を配るなどの自衛策に取り組む地域が出ている。冬眠に向けて栄養をため込む季節なのに、山では台風や酷暑の影響で木の実などのエサが不足しているためという。異常気象で山の神様も疲れ気味らしい▲飢えに苦しむクマも必死である。地域住民の安全を思えば、場合によって射殺などの手段がとられるのは仕方ないが、せつないことだ。人とクマを隔ててくれる鈴の音の霊力だが、山の神様の元気もリフレッシュしてはくれないものか。(余録)