滝沢修

ツノハシバミ 01

 劇団「民芸」代表だった俳優で演出家の滝沢修さんが九十三歳で亡くなってから四年になる▼『夜明け前』の青山半蔵、『炎の人』のゴッホ、『セールスマンの死』のウィリー・ローマンの演技は今も語りぐさだが、その私生活はほとんど謎だった。本人が家族以外の前では終生演技者で通したからだ▼だが、故宇野重吉さんとともに「新劇」と呼ばれた戦中戦後の日本演劇運動を支えてきた名優は晩年、公演のつど開演前の十五分を利用して、自らの戦時体験を熱心に語ったという。滝沢さんの長男荘一さんがその時のテープや、残された資料から『名優・滝沢修と激動昭和』(新風舎文庫)にまとめた▼滝沢さんは東京・牛込で銀行家の三男に生まれた。画家志望だったが、旧制開成中学を卒業した一九二四年、誘われて築地小劇場の一期生となり、翌年シェークスピアの『ジュリアス・シーザー』の群衆役で初舞台を踏む▼四歳下で、外交官の娘だったファンの女学生文子さんと三二年に結婚。貧しい生活は文子さんが英文タイプで支えた。初めて稼いだ金で妻に帽子をプレゼントしようと出かけた銀座、値段が一けた違って断念した話。貧しかった二人のつましい生活をつづった日記が、後に滝沢さんを救う▼村山知義らと結成した新協劇団で中心俳優の位置を確立した四〇年、『夜明け前』の演技が治安維持法違反に問われた。獄中でも演技と家族以外は眼中になかった滝沢さん、日記や妻との往復書簡を読んだ検事から逆に「悔いのない俳優生活を」と激励され、無事出獄できた。(筆洗)<<