ユージン・スミス

ヨウシュヤマゴボウ 01

 水俣病の惨禍を伝えて世界中の人々の心を打った一枚の写真がある。米写真家ユージン・スミスさんが一九七一年に撮影した当時十五歳の胎児性水俣病患者、上村智子さんの湯浴(ゆあ)みの図▼湯船の中で、痩(や)せて硬直したままじっと中空を見据える少女を、いとおしむように抱きかかえる母親。モノクロの柔らかな光が母子を包み込んでいる。両親から「宝子(たからご)」と呼ばれていた智子さんは七七年に亡くなる。スミスさんも七二年にチッソ五井工場を撮影中に受けた暴行がもとで七八年、脳出血で死去▼作品は七五年に写真集『MINAMATA』として発表され、大きな反響を巻き起こす。米誌「ライフ」などの写真誌や国内外の写真集、ポスター、図録で広く紹介され、学校の教科書にも載った▼反公害運動の高まりの中で智子さんの写真は広く世に出回った。しかし残された家族にとって写真は生き身の智子さんそのものでもある。長引く裁判。ビラに使われ、雨に打たれ、踏みつけられて▼「もうここらで智子を休ませてあげられないか」。上村さん夫妻の思いを知ったスミスさんの妻アイリーンさんが九八年、写真を夫妻に返すことを承諾。以後新たな出版や展示には使われないことになった▼最高裁が十五日、関西水俣病訴訟の上告審で、国や熊本県の違法な不作為が惨禍を広めたとして原告勝訴の判決を下した。行政の責任が初めて認定された。ここまでに要した半世紀は智子さんの未完の人生に重なる。後は未認定患者への「不作為」にどう決着を付けるか。政治の出番だ。(筆洗)