山古志村

サンシュユ 01

 越後路を旅する八犬士のひとり、犬田小文吾は神事「牛の角突き」を見物した。曲亭馬琴は「南総里見八犬伝」に、「実に是(これ)、北国中の無比名物、宇内(みくにのうち)の一大奇観なり」(岩波文庫)と記している。国の重要無形民俗文化財に指定されたその闘牛。美しい棚田。住民が十六年をかけて掘り抜き、手掘りとしては日本最長(約九百メートル)の中山隧道(ずいどう)。新潟県の山古志(やまこし)村には村びとの誇りが幾つもある。薪や穀物を運ぶ牛も、山肌を切り取った水田も、つらい山越えをしなくて済むトンネルも、それなしに暮らしは成り立たない。観光用の人寄せでも、村おこしでもなく、生活のなかから生まれた誇りである。長い歳月、人々が伝統を受け継ぎ、磨き上げてきた村が、一瞬のうちに破壊された。悔しさは、いかばかりだろう。新潟県中越地震に襲われた山古志村の全住民に、村外へ避難するよう指示が出た。集落の三十六軒、すべてが倒壊したという池谷地区から脱出した村民のひとりは、「山が土砂で真っ赤に染まった。まるで地域の滅亡を見たようだ」と、その惨状を語っている。柳の緑にかげろうが燃え、鹿(か)の子まだらに雪が消え残る。「鳥啼(なき)て谷の深きを知る。寛歩して到(いた)る処(ところ)、興あらずといふ事なし」。馬琴は村の春景色を活写した。美しい描写が、いまは胸に痛い。(編集手帳)