容貌愚なるが如し

ノジギク 01

 明治の初め、西洋の文明国を視察した岩倉使節団はある日、英国ニューカッスルの大砲工場を見学した。社長が案内に立った。「温温たる老翁にて、容貌(ようぼう)愚なるが如(ごと)し」。
「米欧回覧実記」でそのくだりを読んだとき、好意で便宜を図ってくれた人に「ばかづら」は気の毒だな、と思った。出典を知ったのはだいぶ後のことである。
 中国の古典「史記」に「君子は盛徳、容貌愚なるが如し」とある。徳を内に蔵し、外見は愚かに見えると。一読して人格をたたえる褒め言葉だと分かる人が、明治の昔にはいたのだろう。
 読書は著者との対話であるという。近代以降の書物でさえ古典の素養がないばかりに文意を取り違え、対話が成り立たないとは、わがことながら少々さびしい。
 源氏物語を読み始めたものの、冒頭「桐壺(きりつぼ)」の巻で早々と断念するのを「桐壺源氏」という。「雍也(ようや)論語」「隠公(いんこう)左伝」と似た言葉が幾つもあるところを見ると、昔の人も苦労したのだろう。挫折も読書体験と割り切って古典をひもとくには、夜長の晩秋はいい季節である。
 地震に台風と、被災地には読書どころではない人々がいて、その話題に触れるのをためらっているうちに今年の読書週間がまもなく終わる。「落ち葉をしおりに、読書の秋」。美しい標語を見るにつけて、天地の荒ぶる秋が身にしみる。
(編集手帳)