酉の市

 「此(この)年三の酉(とり)までありて中1日はつぶれしかど前後の上天気に大鳥神社の賑(にぎわ)ひすさまじく」(『たけくらべ』)。樋口一葉がそう書いた年と同じように、東京の下町に冬の到来を告げる今年の酉の市はこの週末三の酉を迎えてにぎわう。
 明治29(1896)年のきょう、一葉は24歳の若い命を閉じた。才気と情感をたぎらせたその作品が若い世代に振り返られることは少なかったが、新5000円札の主役に抜擢(ばってき)されてにわかに光が当たる。20歳をはさんだ3年間を過ごした本郷・菊坂下の路地に残される「一葉の井戸」を訪れる人々も目立つ。
 貧困と家族の不遇を背負いながら、ままならぬ世間への思いとほのかな恋心を江戸の余韻を伝える女性の小気味よい文体で描いた。人生と社会への旺盛な関心を抱えた青春が突然病に奪われた悔しさを想像すると、生きる目的を見失いネット仲間と集団自殺に走る若者が絶えない100年後の風景にむなしさを覚える。
 台風や長雨が多い年は鮮やかな紅葉が見られないというが、街角も色づいたイチョウの葉で明るくなってきた。冬前に穏やかな天気が続く「小春日和」は英語で「インディアンサマー」、ドイツ語で「老婦人の夏」、ロシア語では「女の夏」。新5000円札に一葉の人生を映し見ながら下町歩きにもいい季節である。
(春秋)