心のこもった相聞の年賀状

 国文学者の池田弥三郎さんが富山県魚津市の大学に勤めていたころ、東京にいる友人の文芸評論家、山本健吉さんに手紙を書いた。文面はただ一行、「ブリさし、イカさし、さしすせそ」。
 こちらの魚はうまいぞ、一緒に飲みたいね、という池田さんの心を読み取った山本さんの返信も、ただ一行、「タラちり、フグちり、ちりぬるを」。こちらにもうまいものがあるよ、会いたいね、と。
 英文学者の外山滋比古(とやま・しげひこ)さんが「ユーモアのレッスン」(中公新書)に、「心にくい相聞」として紹介している。「時間がなかったので、長文になりました」と書簡に書いたのは哲学者のパスカルだが、なるほど、便りは長さではない。
 短い文面で心の通い合う友は、燗酒(かんざけ)や鍋料理よりも温かいだろう。せめて年に一度、年賀状のやりとりぐらいはご両人の心の贈答をまねてみたいものだと、しみじみ思う。
 冬の夜は長い。いまごろの時期から、昔なじみや恩師の顔をひとりひとり思い浮かべつつ筆をとれば、短い言葉のなかにも心のこもった相聞の年賀状が書けるのかも知れない。
 わが身を顧みれば言うはやすくで、除夜の鐘が鳴るころに、白いはがきの束に突貫工事で紋切り型の賀詞を書き連ね、それでも三が日には間に合わない不義理の年越しを重ねている。汗かき、義理欠き、かきくけこ…。
(編集手帳)