ポインセチア

ポインセチア

 「ポインセチア愛の一語の虚実かな」。角川源義の句である。師走の声を聞いて、街にはポインセチアの赤があふれている。クリスマスフラワーとしてのこれほどの流行は戦後のことだが、大正時代に寺田寅彦が書いた随筆には病気見舞いのポインセチアの話がある。
 「ポインセチアはこれまで花屋で見かけたことはあるが、名は知らなかった……よく見ると、葉鶏頭に似た樹冠の燃えるような朱赤色は実に強い色である、どうしても熱帯を思わせる色である。花よりはむしろ鳥類の飾り毛にふさわしい色だ」(病室の花)。
 さすが自然科学者というべきか、推察どおりメキシコの原産で、野生種は高さ3メートル以上にもなる木という。先住民は茎から出る乳白色の樹液を解熱薬などに利用していたが、毎年12月ごろに赤く色づくことからスペイン人が「聖夜の花」と呼び、クリスマスの飾りになったそうだ。
 寅彦はポインセチアのつづりを美術本から知る。が、その名が米国大使ジョエル・ポインセットに由来する話までは調べられなかったようだ。後には陸軍長官まで務めた人だが、その名は自分が米国に持ち込んだ花によって歴史に残った。
 和名の「猩々木(しょうじょうぼく)」は赤面赤毛の架空の動物・猩々にちなんだものという。ともかくお酒が好きで顔が赤いのもそのためだ。謡曲「猩々」では海にすむ猩々が月夜に海岸で待ち合わせた親孝行の酒売りの前に現れ、酒を飲んで舞い、その酒売りにくめども尽きない酒壷(さかつぼ)を与える。
 「老いせぬや薬の名をも菊の水、杯も浮かみ出(い)でて、友に逢(あ)うぞ嬉(うれ)しき、この友に逢うぞ嬉しき」。菊の水とは酒のこと。友と年を振り返って重ねる杯がうれしい師走だ。街で目を引く赤色はポインセチアだけではない。飲みすぎにご注意を。
(余録)

心のこもった相聞の年賀状

 国文学者の池田弥三郎さんが富山県魚津市の大学に勤めていたころ、東京にいる友人の文芸評論家、山本健吉さんに手紙を書いた。文面はただ一行、「ブリさし、イカさし、さしすせそ」。
 こちらの魚はうまいぞ、一緒に飲みたいね、という池田さんの心を読み取った山本さんの返信も、ただ一行、「タラちり、フグちり、ちりぬるを」。こちらにもうまいものがあるよ、会いたいね、と。
 英文学者の外山滋比古(とやま・しげひこ)さんが「ユーモアのレッスン」(中公新書)に、「心にくい相聞」として紹介している。「時間がなかったので、長文になりました」と書簡に書いたのは哲学者のパスカルだが、なるほど、便りは長さではない。
 短い文面で心の通い合う友は、燗酒(かんざけ)や鍋料理よりも温かいだろう。せめて年に一度、年賀状のやりとりぐらいはご両人の心の贈答をまねてみたいものだと、しみじみ思う。
 冬の夜は長い。いまごろの時期から、昔なじみや恩師の顔をひとりひとり思い浮かべつつ筆をとれば、短い言葉のなかにも心のこもった相聞の年賀状が書けるのかも知れない。
 わが身を顧みれば言うはやすくで、除夜の鐘が鳴るころに、白いはがきの束に突貫工事で紋切り型の賀詞を書き連ね、それでも三が日には間に合わない不義理の年越しを重ねている。汗かき、義理欠き、かきくけこ…。
(編集手帳)

ジャン・コクトー

 「ときどき思うのだが、どうして日本の画家や映画製作者たちは、天然色の漫画映画を作らないのだろう」「君、ウォルト・ディズニーの波を見たまえ。あれは(葛飾北斎の波だよ」。
 フランスの詩人ジャン・コクトーは、二・二六事件の余燼(よじん)くすぶる戦前の日本を訪れている。西川正也氏の「コクトー、1936年の日本を歩く」(中央公論新社)に引かれた冒頭の言葉は、日本訪問から十七年後に語られたものだという。
 案内役を務めた詩人の堀口大学は、「コクトオという人間は一束の神経だ」と回想している。和製アニメの現在を見わたせば、昭和の二十年代にこの隆盛を予言した「一束の神経」には脱帽するほかない。
 先日封切られた宮崎駿監督の新作アニメ「ハウルの動く城」は約五十か国で公開の予定という。前作の「千と千尋の神隠し」は、米国アカデミー賞の長編アニメ映画賞など数々の栄冠を手にした。日本のアニメは世界に通じる独自の表現領域を確立している。
 コクトーの日本滞在は一週間ほどにすぎない。「僕の精神は一日滞在しただけで、普通の人が五日も七日も滞在したのと同じほどのものを見る…」。詩人はおのが身に備わる研ぎ澄まされた感性を、傲慢(ごうまん)とも無邪気とも聞こえる語り口で堀口に告げた。
 泉下で、「ね」と微笑しているような気がする。
(編集手帳)

島田正吾

 明治維新の風雲に出合いながらも、志を得られずにむなしく故郷に引っ込んで漢学塾を開いていた老人。「こういう人物に限って変物(かわりもの)である、頑固である、片意地である、尊大である、富岡先生もその一人たるを失わない」とは国木田独歩の「富岡先生」だ。
 それを脚色した真山青果の台本と、ひとり芝居の構成原稿が机上に残っていたという。先日、98歳で亡くなった俳優の島田正吾さんの書斎である。「99歳でひとり芝居」を目指した島田さんだ。きっと病床でも、時流へのうっ屈した思いを抱えた老教師を演じる自分を夢見ていただろう。
 「大事なのはセリフにほれること。ひとり芝居は自分で構成するので、嫌なセリフは書かない。構成本を書いているときが一番楽しい」。そう語っていた島田さんが「シラノ・ド・ベルジュラック」の翻案「白野弁十郎」のひとり芝居を初めて試演したのは、すでに83歳の時である。
 その後「シラノ」の本家フランスでの公演まで成功させ、11年前からは毎年、東京の新橋演舞場でひとり芝居を続けてきた。その最後となってしまったのが、脳梗塞(こうそく)を起こした一昨年の「夜もすがら検校」だった。
 「精いっぱい演じることができまして、あー生きていてよかった。もっともっと生きて好きな芝居を勉強したい」。その舞台でのあいさつである。新国劇沢田正二郎に入門したのが17歳、やがて演劇史に一時代を築いた劇団は消え、多くの仲間も世を去ったが、その志をただ一身で生かし続けようとした晩年であった。
 書斎にはたくさんのカエルの置物も飾られていたという。「柳にカエル」は新国劇のシンボルだ。今ごろ天国では恩師や懐かしい仲間の前で、どんなふうに頑固な老教師を演じて見せているだろう。
(余録)

日記

 「まさか、日記帳までが無くなる世の中になろうとは思わなかった…」。喜劇役者の古川ロッパ氏は一九四四年(昭和十九年)元日の日記にそう書いている。
 書店の店頭から日記帳が姿を消した。「私は日記をつけるために生きている。貧乏も日記のサカナだ」と語った“日記人間”には、異様な光景と映っただろう。暗い雲が戦局に重く垂れ込めるころである。
 膨大な日記を残したもうひとりの喜劇人に、徳川夢声氏がいる。その日記帳には戦時中に、五十日ほどの空白がある。四二年(昭和十七年)の夏、危険のつきまとう南方戦線を慰問することになった。
 「南方から生きて帰れないかも知れない。だとしたら、日記など少々ばかげている。天気か、雨か、何を食べたか、そんなことはどうでもいいではないか」。日記帳を遠ざけた心境をのちに回想している。
 「明日」が見えないとき、「今日」を記す筆は止まるものらしい。ロッパ氏の眺めた書店の風景も戦時下の物不足それ以上に、身の行く末を見つめる人々の「希望不足」の投影であったかも知れない。
 師走間近の書店や文房具店を歩けば、五年連用、十年連用、歳時記や格言付き…と、形式も色もとりどりに日記帳が並んでいる。来年は終戦から六十年、曲がりなりにも「明日」が見える時代のありがたさをかみしめる。
(編集手帳)

日本の季節感は重層的である

 銀杏(いちょう)の黄落は木枯らしに吹き飛ばされることもなく、小春日和の光を浴びて大地を染めている。庭先や軒下の菊も、けなげに咲き残る風情とは少し違う。暖かい晩秋が続いて、東京の初霜は例年より遅れ、残菊を際立たせる霜枯れの背景はまだ見られない。
 旧暦9月9日の重陽節句(今年は10月22日)の後に咲くのは十日の菊。旧暦5月5日の端午の節句を過ぎて咲くのは六日のアヤメ。この2つを並べて、時期を外して役に立たないたとえに、「六日のアヤメ、十日のキク」などという。しかし、咲き残った残菊にこそ真価が宿ることを、人々は知っていた。
 江戸時代までは、旧暦の10月5日(今年は11月16日)ごろ、宮中では残菊の宴が開かれていた。十日の菊はむしろきっぱりと咲いて、一年の花のとりにふさわしい。残菊とは別に遅咲きに改良された晩菊もある。はしりを珍重しつつ、盛りを称賛し、名残りを惜しみ慈しむ。日本の季節感は重層的である。
 ところが、無秩序な開発や都市のヒートアイランド化で、自然が単調になって粘りを失うと、人間の感性まで棒のごとく硬直して振れやすくなるのかもしれない。金ほしさという単純な動機で少年たちが通行人を襲う「おやじ狩り」という名の強盗事件も、都市の殺風景と無縁ではない。
(春秋)

酉の市

 「此(この)年三の酉(とり)までありて中1日はつぶれしかど前後の上天気に大鳥神社の賑(にぎわ)ひすさまじく」(『たけくらべ』)。樋口一葉がそう書いた年と同じように、東京の下町に冬の到来を告げる今年の酉の市はこの週末三の酉を迎えてにぎわう。
 明治29(1896)年のきょう、一葉は24歳の若い命を閉じた。才気と情感をたぎらせたその作品が若い世代に振り返られることは少なかったが、新5000円札の主役に抜擢(ばってき)されてにわかに光が当たる。20歳をはさんだ3年間を過ごした本郷・菊坂下の路地に残される「一葉の井戸」を訪れる人々も目立つ。
 貧困と家族の不遇を背負いながら、ままならぬ世間への思いとほのかな恋心を江戸の余韻を伝える女性の小気味よい文体で描いた。人生と社会への旺盛な関心を抱えた青春が突然病に奪われた悔しさを想像すると、生きる目的を見失いネット仲間と集団自殺に走る若者が絶えない100年後の風景にむなしさを覚える。
 台風や長雨が多い年は鮮やかな紅葉が見られないというが、街角も色づいたイチョウの葉で明るくなってきた。冬前に穏やかな天気が続く「小春日和」は英語で「インディアンサマー」、ドイツ語で「老婦人の夏」、ロシア語では「女の夏」。新5000円札に一葉の人生を映し見ながら下町歩きにもいい季節である。
(春秋)